自己紹介 その3 いよいよクラリネットを始める
ピアノをやめてクラリネットを習うために千葉国夫先生の門を叩いた私ですが、当時藝大などで教鞭をとっていらした千葉先生のような大御所は、超初心者を教えることは珍しいようでした。
学校の吹奏楽部や地方の先生のご指導を既に受けている人が、音大受験を見据えて来るパターンがほとんどで、私のように初めて楽器を組み立てるところから千葉先生に教えていただいた生徒はそう多くはないと思います。
先生も珍しがって様子を見ながらのレッスンでしたが「どうせすぐ辞めるだろう」と思ったそうです。
楽器も、ご自宅に転がっていた古い楽器を貸してくださいました。
今思うと、そんな何もかもが恐れ多いことですが、楽器の組み立てから音の出し方から、文字通り手取り足取り教えていただきました。
やおら私の手を掴んで親指をマウスピースに見立て、先生が口にくわえた時はびっくりしたなあ!
「貸してみろ」と言って私の楽器を吹くのも、最初はびっくりでした。(管楽器なら当然のこと)
そのようにして、ちんたらちんたら、さしてやる気もなく私のクラリネット人生は始まりました。
けれどもなぜか、つまらないとか辞めたいとか、先生に指をしゃぶられるのが我慢ならないとか(笑)思うことはなく、先生の予想に反してゆるゆると続けられたのです。
それは直感的に、千葉国夫先生の人柄が信頼できて先生が好きだったから、に他なりません。
そんな「箸にも棒にもかからない生徒」(先生のお言葉 笑)にも転機が訪れました。
先生の息子さんである直師さんがウィーン留学から帰国し、都響とウェーバーのクラリネットコンチェルト1番を演奏するのを生で聴いて、私は初めて自分の吹いているクラリネットという楽器を正しく理解し手元に引き寄せることができたのです。
それまでもオーケストラは生で聴く機会が多かったし、先生の素晴らしい音も身近で聞いていましたが、不思議とその時初めて合点が行ったというか、「これがクラリネットなんだな」と腑に落ちたのです。
それからはスイスイと楽器が上達し、先生の言葉を借りれば「竹の節が伸びるように」色々なことができるようになりました。
この時のことは後々まで先生に言われ続けましたが、あんなことは2度と起きません。
多分子供にしか起こらないようなミラクルな理解の仕方があるのではないでしょうか。
私ののんびりした脳が、ギリギリ子供の柔らかさを残していたんだと思います。
それでも、もう少し早く目覚めていればなあ、とはよく先生に言われたものです。
エンジンが掛かるのが少し遅くて、音大受験には間に合わないかも。
フル回転で浪人覚悟の受験準備をすることとなりました。