自己紹介その5 藝大時代は熱風のように

晴れて藝大に入学し、引き続き千葉国夫先生のレッスンを受けながら、様々な音楽の勉強が始まりました。私にとって1番楽しかったのは、アンサンブルの授業です。

それまでは1人でひたすら受験のためだけに練習する日々でした。しかし、本来私は誰かと音を合わせるのが好き、幼少の頃は父と連弾、中高時代はバンド(担当はキーボード)で毎年文化祭に出演していました。

大学に入って初めてクラリネットで誰かと合奏する機会ができ、オーケストラの授業はもちろん、室内楽にも勤しみました。入学してすぐ木管5重奏の仲間ができ、4年間続けられたことは藝大時代の大収穫だったと思います。そのほかでも事あるごとにクラリネット5重奏や木管アンサンブルの演奏をしました。冷暖房の無い旧奏楽堂で、だるまストーブを囲んで演奏したり、必死でメンバーを集めてモーツァルトのグランパルティータ(13管楽器)もやりました。卒業してからはなかなかできないその様な室内楽は、ぜひ学生のうちに経験しておきたいものです。

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当時は単位取得のために取っていた一般教養の授業も、今考えるとお金を払ってでも受けたい授業が目白押しでした。小泉文夫先生の民族音楽油井正一先生のジャズ入門(これは「秀」でした!)、などなど個性豊かな先生の授業や、体育という名の「こんにゃく体操」は今こそ受けたい授業です。

 

4年間毎日下校時刻まで学校に残り、練習したりおしゃべりしたり食べたり飲んだり遊んだり。藝大時代、私の青春の日々は熱風のごとく通り過ぎて行ったのでした。

 

藝大で学んで良かったことは、最高の授業を受けられたということももちろんですが、1番は、自分より音楽的に数段上等な先輩や仲間と知り合えたこと。その人たちとの繋がりが、その後の財産となって今につながっていることを、この歳になって実感しています。

 

 

自己紹介 その4 藝大受験

当時の東京藝術大学の受験体制は1次、2次が実技、3次がソルフェージュ&ピアノと学科というものでした。1次試験はローズの32のエチュードからテクニカルな偶数番号とゆっくりの奇数番号から当日指定で一つずつ、それとスケール(音階)でした。あとピアノで弾いた音をクラリネットで当てる音当てクイズみたいなのもあったなあ。2次はウェーバーのコンチェルティーノ全曲。

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クラリネットの受験生は20人ばかり、私は14番でした。そんなに少ないの???とよく驚かれますが、厳しい試験を受験する時点で絞られるので、毎年この程度でした。寒い冬の日、スチームがシュンシュン音を立てる控え室に5人ぐらいで順番を待ちますが、私の前後は浪人生だったので、その間にいろいろなことを教えてもらいました。「リードは吹きやすい方がいいよ」「音を当てるときはそーっと息を入れて音を探りながら指をおくといい」とか。(笑)私のグループはライバル的なギスギスしたところは1つもなく、浪人の先輩方が優しくてどんなに安心したことか。私も試験を終えて部屋に戻った時に、音当ては一番低い音が出た、とお礼に教えてあげました。(笑)

 

そのようにして、最終日のピアノの試験では自己紹介1で書いたピアノの師匠との遭遇があったりして、何とか3日間を終えました。全ての試験が終わった後、浪人組の受験生と上野の喫茶店でお茶を飲んで、それぞれ「ああダメだった〜!」「落ちる〜」と大いに嘆いて帰路につきました。

 

結果は、その時世話になった浪人生も含めて5人が合格となり、この人たちは生涯の友人となりました。

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自己紹介 その3 いよいよクラリネットを始める

 

ピアノをやめてクラリネットを習うために千葉国夫先生の門を叩いた私ですが、当時藝大などで教鞭をとっていらした千葉先生のような大御所は、超初心者を教えることは珍しいようでした。

学校の吹奏楽部や地方の先生のご指導を既に受けている人が、音大受験を見据えて来るパターンがほとんどで、私のように初めて楽器を組み立てるところから千葉先生に教えていただいた生徒はそう多くはないと思います。

先生も珍しがって様子を見ながらのレッスンでしたが「どうせすぐ辞めるだろう」と思ったそうです。

楽器も、ご自宅に転がっていた古い楽器を貸してくださいました。

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今思うと、そんな何もかもが恐れ多いことですが、楽器の組み立てから音の出し方から、文字通り手取り足取り教えていただきました。

やおら私の手を掴んで親指をマウスピースに見立て、先生が口にくわえた時はびっくりしたなあ!

「貸してみろ」と言って私の楽器を吹くのも、最初はびっくりでした。(管楽器なら当然のこと)

 

そのようにして、ちんたらちんたら、さしてやる気もなく私のクラリネット人生は始まりました。

けれどもなぜか、つまらないとか辞めたいとか、先生に指をしゃぶられるのが我慢ならないとか(笑)思うことはなく、先生の予想に反してゆるゆると続けられたのです。

それは直感的に、千葉国夫先生の人柄が信頼できて先生が好きだったから、に他なりません。

 

そんな「箸にも棒にもかからない生徒」(先生のお言葉 笑)にも転機が訪れました。

先生の息子さんである直師さんがウィーン留学から帰国し、都響ウェーバークラリネットコンチェルト1番を演奏するのを生で聴いて、私は初めて自分の吹いているクラリネットという楽器を正しく理解し手元に引き寄せることができたのです。

それまでもオーケストラは生で聴く機会が多かったし、先生の素晴らしい音も身近で聞いていましたが、不思議とその時初めて合点が行ったというか、「これがクラリネットなんだな」と腑に落ちたのです。

 

それからはスイスイと楽器が上達し、先生の言葉を借りれば「竹の節が伸びるように」色々なことができるようになりました。

この時のことは後々まで先生に言われ続けましたが、あんなことは2度と起きません。

多分子供にしか起こらないようなミラクルな理解の仕方があるのではないでしょうか。

私ののんびりした脳が、ギリギリ子供の柔らかさを残していたんだと思います。

 

それでも、もう少し早く目覚めていればなあ、とはよく先生に言われたものです。

エンジンが掛かるのが少し遅くて、音大受験には間に合わないかも。

フル回転で浪人覚悟の受験準備をすることとなりました。

自己紹介 その2 ピアノ反抗期を経て

やっと秋らしくなって来ました。

コロナは収まる気配無く、世界ではまだまだ感染が広がっているようです。それでも季節は確実に進んで行くのが、なんだか不思議な気がします。

 


前回はピアノ事始めを書いたので、今回は不良生徒がピアノからクラリネットに転向するところから始めようと思います。

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ピアノはやめたけれど、さてどうしよう、お勉強は好きじゃないしやりたい事があるわけでもない。

好きな事は、連弾、アンサンブル、バンド、ハモり、、、音楽ばっかりだ。人より少しだけ上手にできる事も、ピアノを弾いたり適当に伴奏をつけたり適当に作曲したりすること。これはやっぱり何かしら音楽を続けないといかん、自分でもそう思って他の楽器を選ぶことになりました。

 


私の父は日フィルの設立に関わり、都響の事務局長を務めるなど日本のオーケストラ界に貢献した人でした。

父の影響で私も音楽が好きになったことは否定できません。

 


そんな父が勧めてくれたのが、クラリネットです。

モーツァルトブラームスの五重奏を聴かせて、「いい音だろう?」

オーケストラ曲のクラリネットのおいしいソロを聴かせて、「いい音だろう?」

 


今から思うと、まんまと父の口車に乗せられました。

フルートは人数が多くて競争が激しいからやめた方がいい、とか、クラリネットなら通いやすい所にいい先生がいるよ、とも。(これは本当)

父は若い頃ビオラをやっていたので、同じような音域のクラリネットが好きだったのかもしれません。

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そこで私はまったく未知の楽器クラリネットを一から習うために、千葉国夫先生の門をたたいたのでした。

自己紹介 その1 ピアノ

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久しぶりのブログです。

 

もともと家にいるのが好きな引きこもりタイプなので、この自粛期間も余り苦にならなかったのですが、さすがにそろそろ閉塞感満杯になってきました。

演奏の仕事は全部キャンセルになり、アンサンブルもできず、趣味のアカペラコーラスもできません。

考えてみると、自分の好きなこと、やりたいことはほとんど、誰かと一緒でなきゃできないことばかりです。

どちらかというと人間嫌いだと思っていましたが、そうでもなかったみたい。

下向きな気持ちを奮い立たせて今できることをやろう、ということで、新しい生徒さんを大募集中です!

 

ということで、自己紹介を兼ねて自分のことを少し書きます。

 

私は四歳からピアノとソルフェージュを始めましたが、先生は桐朋音楽教室の先生でしたので、万事桐朋式です。

若いけれど厳しい先生で、お稽古の帰りに吉祥寺の闇市みたいな商店街でおもちゃを買ってもらうために、泣きながら練習したものです。

ですが、この時のご指導が今、音楽家の私という者の半分以上を形作っていると言っても過言ではありません。

泣きながら練習しても音楽を嫌いになることはなく、今は財産になっています。

昔の先生は怖かった。

昔のお母さんも怖かった。

今は厳しくするとやめちゃうので厳しくできなくなった、と音楽仲間はみんな言っています。

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さて、そんなスパルタ式の鍛錬で、小学校の頃までは私は結構ピアノが上手だったんです。

NHK「ピアノのおけいこ」に出たこともあります。

(この時にテレビカメラの前でスカートをめくってパンツをズリ上げた、と言って母が後々まで恥ずかしがっていましたが私は覚えていません。(^◇^;))

ところが、長ずるにしたがって本性が現れ、中学になる頃にはもうママの言うことは聞かない、平気で練習をサボる、さらわないでレッスンに行く、という不良生徒に豹変したのです。

 

この頃は、現芸大名誉教授でいらっしゃる坪田昭三先生のご指導を受けていたのですが、今思うと本当に申し訳ない話、やる気のない反抗的な態度でレッスンに行っていたのです。

先生も先生で、こちらが弾き終わっても5分くらい黙ってゆっくりタバコを吸ってから「それ初見?」

毎回こんなバトルが繰り返されましたが、なんとクラリネットで芸大を受験した時のピアノの試験官が坪田先生で、入学してからの副科ピアノも坪田先生、ずっと尊敬している大好きな先生です。

 

そんなわけでどうもピアノは向いていない様なので、とうとう他の楽器をやることになりました。

弦楽器を始めるには遅いということで、管楽器。

なぜクラリネットだったのか・・・は次回です。

 

 

 

パリャーソ(谷川賢作pf&続木力harm)〜ピアノとハーモニカご機嫌なデュオを聴く〜

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谷川賢作(ピアノ)&続木力(ハーモニカ)in成城。

この頃はまだコロナの影響も少なく、超満員のお客さん。20年来のデュオユニットに酔いしれた。

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この2人の演奏はいつでも安心して聴ける。

この日も「6月のうた」「地平線」など、パリャーソでならではの賢作さんの名曲の数々を存分に味わった。

メロディーメーカー谷川賢作、おそるべし。

 


「6月のうた」は私も賢作さんとの木管四重奏のユニット"であるとあるで"で何回も演奏している名曲だが、続木さんのハーモニカを聴いてしまうと、やっぱりハーモニカだなぁ!と思うのである。

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木管楽器では出せない官能的な響きがたまらん。

特に、頬を撫でるようなフレーズの吹き始め。衝撃音ぽい音の突っかかりがまったく無く、ぬるっと歌い始めることができるのが、どんな管楽器にも真似できないところではないだろうか。

私の今月の目標は、これだ!

ハーモニカのようなアタックで吹き始めたい。

いつも続木さんの顔を思い浮かべて練習している。(顔を思い出してできるものではない笑)

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休憩時間に続木さんに色々ハーモニカのことを伺った。

驚いたことに、ハーモニカという楽器は2〜3ヶ月しかもたない消耗品だそうだ!

これは常識なのか?

私が知らなかっただけなのか?

 

中にある金属のリード部分の消耗が激しく、リードがヘタったり折れたりしたら、楽器ごと新しくするのだそうだ。

クラリネットのリードと同じではないか!

それが楽器と一体化してるから、楽器ごと変えるしかないのだ。

折れたリードを飲み込んでしまうアクシデントもあるとか。

なんという不経済、、、家には不要になった楽器がゴロゴロしているそう。

「なかなか捨てられなくてね」

そうでしょうとも。クラのリードだってなかなか捨てられないもの。

 


ハーモニカという身近に思える楽器も、知らないことだらけだ。

クラシック、ジャズ、邦楽などの分野を問わず、ミュージシャンそれぞれの苦労があるなぁと思ったことでした。

 


かろうじて自粛要請の前に聴けたステキなライブ、小さなライブハウスならではの親密感はまた特別なもの。

早く安心してライブを楽しめるようになりますようにと願ってやまない。

 


今日の一句

春の宵頰撫でるハーモニカの音

 

 

 

東フィル定期を聴いた2〜評論家になってみた〜

 

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第2弾は、チョン・ミョンフン指揮「カルメン」を演奏会形式で。

 


実を言うと、オペラを演奏会形式で聴くのはあまり好きではない。どうしてもオペラの方がいいと思ってしまうからだ。

 


そんな考えを気持ちよく覆してくれるような、今回の公演だった。

 


カルメン(マリーナ・コンパラート)とミカエラ(アンドレア・キャロル)の女性陣はさすがの出来、男性陣は私はあまり好みではなかった。もっとも、どんな人が演じても、例えカレラスだって、ホセは気持ち悪くて嫌いになってしまう私です。

ストーカーだよ、気の毒なカルメン笑。

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それはともかく、今回の収穫は、音楽が際立ってすばらしいと感じられたことだ。

これは、演奏会形式の確かな利点だろう。舞台上の演技に気をとられることなく、また、テンポだの間合いだのを犠牲にすることなく、純粋に音楽に集中できる。何回もオペラ「カルメン」を観ているが、今回ほど音楽に集中できたことは、いまだかつて無かった。どの曲もどの曲も良い曲(有名でない曲も)、間違いなくビゼーの傑作だ。一生に一度、神が降りてきて書かせた曲としか思えない。

 

そして、特筆すべきはやはりチョン・ミョンフンの指揮だろう。

演奏会形式ならではの構成、プランがはっきり見えて、本当に気持ちがよかった。曲間の短さ、緩慢さを排した簡潔な運び、スッキリさわやか。メタボなカルメンがダイエットに成功してスタイル抜群の美女になったよう!

 

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実際のオペラでは色々な制約があって、このようにはできないだろう。でも、たまには優れた作品を好きなように音楽作りしたい、そんなチョンさんの気持ちがよく現れていたように思う。

 


長丁場なのに暗譜というのもかっこよかった。

私たち管楽器奏者は得てして暗譜が苦手だが、譜をめくる動作さえ邪魔になっているのかも、と考えさせられるところがあった。

 


良い指揮者は無駄な動きをしない。だからここぞという時のパッションが効果的に伝わる。

 


前回に引き続き、良い指揮者が作品もオケも良くするという、当たり前のようだが、すばらしい恩恵をこうむることができた。

 


ありがとう東フィル。

大きな声では言えないが、コロナウイルスのせいで出来た空席を招待券にしてくれて。