東フィル定期を聴いた1 評論家になってみた
久々に東フィル定期を聴いた。夫が東フィルで吹くのもあと僅か、晴れ姿の見納めだ。
ラフマニノフのピアノコンチェルトは3番、ソリストは阪田知樹。これが良かった!1楽章の途中、カデンツァまで、なぜかオケばかり聴いていた。
久しぶりのオケだからかな?
ファゴットがいい音していたからかな?
と思ったが、ハタと気が付いた。
このピアニスト、ソリストなのに出しゃばらない、オケの一員のように弾いているんじゃないか?
ソリストは思いのままソリスティックに、というのもいいけれど、そういうのは、およそソリスティックでない私の趣味ではない。いつでもソリストが主役という訳でもあるまいに。時にオケと切り離された孤独な存在に見えるソリストもいる。
ところが阪田さんは、弱冠26歳ながら、この複雑な曲の全体像を確実に捉えて、ソリストとしてみんなと一緒に作り上げていたように思う。
プロフィールを見たら、6歳から作曲を学び、室内楽にも定評がある、ということで納得納得。もちろん、リスト国際コンクールで1位を獲るほどの、超が付くテクニシャンであることは間違いない。が、むしろアンサンブルピアニストとしての期待と魅力が大だと私は思う。
買いかぶりすぎかしら?
付け加えるなら、バティストーニの指揮がそれを自由にさせていたのも明白。
バティストーニについては、次の幻想交響曲で本領発揮。どんなに長く壮大な曲も、良い指揮者は最後までブレない。確たるプランがあり、最後まで溌剌とやり通す力がある。指揮にオケも良く応えていた。東フィルってこんなにうまかったかな?(失礼)
それにしても、改めて思ったのは、ベートーベンが死んで3年しかたっていないのにこんな曲を書いたベルリオーズとは!未来から来たか、宇宙から来た人なんじゃないか。それ故に、頭がおかしいなどと言われたのでは?という妄想交響曲も浮かんで来る。
久しぶりの幻想が、ますます面白く斬新に聴こえたのも良い指揮のなせる技か。
こちらも買いかぶりすぎかしら?
中村哲さんのこと
ペシャワール会の会報最新号が届いた。
我が家は中村哲さんの活動を知った20数年前からペシャワール会の会員になっている。著作や会報で、砂漠がどのように緑の農地に変わったか、陰ながら見守って来たつもりだ。
この会報の発行日12/4に中村哲さんは亡くなった。
最新号には、「凄まじい温暖化の影響」〜年々悪くなるアフガニスタンの自然状況について〜(危惧するのはテロではなく、温暖化による気候変動だと強く言っている)、「水路を守る柳について」、「灌漑事業の強力な支持者だった緒方貞子さんについて」の3つの文が中村さんから寄せられている。
中村さんが殺害されたと知って、私も多くの人と同じように「なぜ?よりによって彼が?あなたたちのために尽くしているのに!」と、テロリストに詰め寄りたい気持ちになった。
しかし改めて中村さんの文を読んで思うのは、憎むべきはテロリストではなく、干ばつや水害を繰り返し引き起こす温暖化であり、貧困なのだということ。
人は耕す土地があって、農作業ができて、農作物が存分に収穫できて、家族が一緒に暮らせるなら、決してテロリストはならない、と彼はいつも書いている。
地球を守ることがすべてに繋がる、ということを1番知ってほしい人たちが、1番鈍感で無関心なのが何より悲しい。
Uのこと
Uが突然亡くなった。信じられなかった。
去年の同じ頃、大切な友人とその夫君を同時に亡くし、あまりのことに私は体調を崩した。
風薫る新緑の5月にまた!?と問いかける。
ちょっとした本番があって、久々に練習していたモーツァルトのピアノ五重奏も、そういえばUとやった。壁を見れば、うちの練習室には彼と一緒のアンサンブル・コンソナンツのポスターが貼ってある。長野新生病院で谷川俊太郎さんとやった感動的なコンサートのポスターも貼ってある。
そこからツラツラと芋づる式に思い出される記憶。モーツァルトのシンフォニアコンチェルタンテもやった、グランパルティータもやった、ベートーベンのピアノ五重奏、クープランの墓などの木管五重奏、あれもこれも、若い時のアンサンブルはほとんど彼と一緒だ。そしてもちろん相当数のトリオダンシュの有名無名曲。
Uと知り合ったのは私がスイス・ルツェルンにいた20代の頃で、彼はバーゼルに留学中だった。ジャーマンでもアメリカンでも無い爽やかなクセのないオーボエを吹く印象。私はあの頃の彼のオーボエが好きだ。彼と私と夫で遊び半分に始めたトリオがその後20年余り続くとは思ってもいなかった。
彼はシュールホフなどの無名の逸品を見つけてくるのがうまく、私達は娯楽の少ないスイスで、よく練習しよく食べよく遊んだ。何をして遊んでいたかと言えば、手作りの野球ゲームである。手書きの紙にサイコロ、というアナログ中のアナログ。それでも夢中で夜中まで遊んだものだ。Uは阪神タイガース、夫がカープ、私はヤクルトスワローズのファンだったので、一時期トリオTCS?とか名乗っていた時もあった。ジャイアンツファンでなかった事は、私達が仲良くなった意外と大きな要因かもしれない。
その後それぞれが帰国して、アンサンブル・コンソナンツとして10年以上活動したわけだが、その間にどれだけ多くの事を学び吸収したかわからない。父上である小林道夫先生や谷川俊太郎さんとの共演も彼の尽力によるものだ。彼に出会わなかったら、私の音楽人生は間違いなくもっとつまらないものになっていただろう。
やりたい曲はほとんど彼とやった、やり尽くした。楽しかった。Uは恩人だ。
先日カリフラワーのリゾットを作っていて思った。
あ、カリフラワーはUが嫌いだったな。あと牛乳も。
時々、えんどう豆が鞘からこぼれるように、亡き人の記憶が転がり出る。まだしばらくはそんな日が続きそうだ。