Uのこと

Uが突然亡くなった。信じられなかった。

去年の同じ頃、大切な友人とその夫君を同時に亡くし、あまりのことに私は体調を崩した。

風薫る新緑の5月にまた!?と問いかける。

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ちょっとした本番があって、久々に練習していたモーツァルトのピアノ五重奏も、そういえばUとやった。壁を見れば、うちの練習室には彼と一緒のアンサンブル・コンソナンツのポスターが貼ってある。長野新生病院で谷川俊太郎さんとやった感動的なコンサートのポスターも貼ってある。

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そこからツラツラと芋づる式に思い出される記憶。モーツァルトシンフォニアコンチェルタンテもやった、グランパルティータもやった、ベートーベンのピアノ五重奏、クープランの墓などの木管五重奏、あれもこれも、若い時のアンサンブルはほとんど彼と一緒だ。そしてもちろん相当数のトリオダンシュの有名無名曲。

 

Uと知り合ったのは私がスイス・ルツェルンにいた20代の頃で、彼はバーゼルに留学中だった。ジャーマンでもアメリカンでも無い爽やかなクセのないオーボエを吹く印象。私はあの頃の彼のオーボエが好きだ。彼と私と夫で遊び半分に始めたトリオがその後20年余り続くとは思ってもいなかった。

彼はシュールホフなどの無名の逸品を見つけてくるのがうまく、私達は娯楽の少ないスイスで、よく練習しよく食べよく遊んだ。何をして遊んでいたかと言えば、手作りの野球ゲームである。手書きの紙にサイコロ、というアナログ中のアナログ。それでも夢中で夜中まで遊んだものだ。Uは阪神タイガース、夫がカープ、私はヤクルトスワローズのファンだったので、一時期トリオTCS?とか名乗っていた時もあった。ジャイアンツファンでなかった事は、私達が仲良くなった意外と大きな要因かもしれない。

 

その後それぞれが帰国して、アンサンブル・コンソナンツとして10年以上活動したわけだが、その間にどれだけ多くの事を学び吸収したかわからない。父上である小林道夫先生や谷川俊太郎さんとの共演も彼の尽力によるものだ。彼に出会わなかったら、私の音楽人生は間違いなくもっとつまらないものになっていただろう。

やりたい曲はほとんど彼とやった、やり尽くした。楽しかった。Uは恩人だ。

 

先日カリフラワーのリゾットを作っていて思った。

あ、カリフラワーはUが嫌いだったな。あと牛乳も。

 

時々、えんどう豆が鞘からこぼれるように、亡き人の記憶が転がり出る。まだしばらくはそんな日が続きそうだ。